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21st.Sep.2017

核とミサイルを弄ぶ金正恩政権

話は2003年3月に遡る。

3月20日、アメリカ主導の多国籍軍がサダム・フセイン政権下のイラクに侵攻した。侵攻の大義は、イラクが大量破壊兵器を隠し持つ疑いが強く、国際テロ組織アルカイダをかくまう「悪の枢軸」の一国だというものだった。

イラク戦争当時、北朝鮮の指導者は、現在の金正恩・朝鮮労働党委員長の父である金正日総書記だった。

金正日時代(1997~2011年)初期の北朝鮮は、核開発の動きを見せつつも、2000年1月のイタリアを皮切りに、欧州連合(EU)各国やカナダとの国交を正常化。6月には韓国の金大中大統領とも平壌で南北首脳会談を行った。

10月には訪朝したアメリカのオルブライト国務長官とも会談し、アメリカとの関係改善の動きも示していた。

北朝鮮の「全方位外交」とも呼ばれた時代だ。2002年9月には訪朝した日本の小泉純一郎首相とも会談し、拉致問題の解決、植民地支配の過去の清算、日朝国交正常化交渉などを盛り込んだ平壌宣言を発表している。この時期の北朝鮮は、現在と比べるとはるかに国際社会を意識し、その一員としてふるまっていた。

 

金正日、空白の49日間

 

しかし、イラク戦争開戦が現実味を帯びてきた2003年1月10日、北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)から脱退した。

そして、同年2月12日に平壌のロシア大使館を訪問したのを最後に、金正日総書記の動静報道がぱったりと止まる。イラク戦争開戦後、3月末には最高人民会議(国会)が開かれたが、ここにも金総書記は姿を見せなかった。

結局、バグダッド陥落寸前の4月3日に、金総書記の医大視察を朝鮮中央通信が報道するまで、過去最長の49日間にわたる「動静報道の空白」がこの時期に生まれる。

この間、彼は何をしていたのか。

多くの識者は「イラク戦争の情勢を連日注視し、核戦略、対米戦略の見直しに集中していたのだろう」とみている。

金正日総書記は、英語はさほどうまくなかったようだが、外国メディアが報じる国際ニュースを熱心に自らチェックしていたことで知られる。

2000年10月のオルブライト米国務長官との会談の際の雑談では、2人で並んで歩きながらこんな会話も交わしている。

「私は、長官との今回の会談について報じているCNNを毎日見ています」

オルブライト長官は驚いて目を見開き、金正日総書記の顔をのぞき込むようにして「REALLY?(本当ですか)」と言った。

長官はその後、「英語がおできになるようなので、この会談も英語でやりましょうか?」と持ちかけたが、総書記は、「いや、ロシア語を学んできたので英語はあまり……」とかわしている。

ともあれ、金正日総書記は、イラク戦争中、CNNを中心とした国際メディアの報道を連日、見入っていたはずだ。

そして、国際社会に妥協して核査察も受け入れたフセイン・イラク政権が、圧倒的なアメリカの軍事力の前に、無残に敗北していった様子を目に焼きつけたと思われる。

 

譲歩したらイラクと同じ運命

 

このころ、ブッシュ政権下のラムズフェルド国防長官は、クリントン前政権下とは北朝鮮への姿勢を180度転換、「イラクと北朝鮮との二正面作戦にも備えている」と明言していた。

北朝鮮の労働党機関紙『労働新聞』は、イラク戦争中の2003年3月29日の論評で次のように書いている。

「イラクの運命は譲歩と妥協の産物である。われわれはいささかの譲歩、妥協もしない」

「もし、われわれが帝国主義者たちに譲歩し、核査察や武装解除の要求を認めていたら、今日のイラクのような悲惨な運命は避けられなかった」

「軍事優先路線と強力な軍事力はわが国の自主権を守るだけでなく、朝鮮半島の平和と安全を守る担保である」

イラクには結局、核兵器開発の証拠も、生物化学兵器の明確な存在もなく、戦争の大義は揺らいだ。あっけなくバグダッドを陥落させたアメリカ軍は、その後の占領統治の中で、路上爆弾などで4000人以上のアメリカ兵が戦死する泥沼に引き込まれる。

その「中東の泥沼」は、現在に至るまで続いているわけだが、イラク戦争をきっかけに、北朝鮮が核開発の道を突き進んだのは間違いない。アメリカに異を唱える独裁国家が生き延びるためには「核を手にするしかない」と明らかに学んでいる。

北朝鮮は2006年10月、初の核実験に成功する。核開発には、同様に反米姿勢を強めていたパキスタンのアブドゥル・カーン博士らが協力したとされる。

 

NPT体制の崩壊

 

現在の北朝鮮による核とミサイルをめぐるめ言動は決して許されるものではない。ただ、北朝鮮の核開発を非難する国際社会の側も、純然たる善の側に立っているわけでもない。

そもそもNPT体制とは、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国「以外の国」の核保有を禁じる条約に基づく。当然、非核保有国からは核廃絶の道筋に対する不満が常に渦巻いている。

「5か国以外の核保有を禁じる以上、5か国も核兵器を削減、最後は廃絶すべきだ」

との論議がNPT再検討会議では繰り返されてきた。しかし、核廃絶の明確な道筋は示されず、2015年5月の再検討会議では、エジプトなどが提案した「中東の非核地帯構想」にアメリカが猛反発、最終文書も採択されないまま終わった。

アメリカが反対した最大の理由はイスラエルの核保有問題だ。中東の非核地帯構想が進むと、「暗黙の核保有国」であるイスラエルの立場が危うくなるとアメリカは懸念したのだ。当然ながら、イスラエルのアメリカに対する猛烈なロビー活動もあったはずだ。

核保有国の数はもはや「5」ではない。イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮の4国を加えた「9」が現実である。 NPT体制が正式発足した1970年以降に核を保有したこの4国は、いずれも現在NPTに加盟していない。NPT体制自体が、核拡散防止にも廃絶にもほとんど貢献できない組織状況になっている。

国連の条約交渉会議では、NPT体制よりもさらに踏み込み、核兵器の保有、使用、実験などをいっさい禁じる核兵器禁止条約が今年7月7日に採択された。これはNPT体制の崩壊を象徴するできごとでもあった。

122か国・地域が賛同したこの条約に、日本は、米国による核の傘の下にあることなどを理由に参加していない。これには国内外から「なぜ被爆国が核兵器禁止において率先しないのか」という批判が強くある。

 

核開発の代償

 

核保有と弾道ミサイル開発によって、北朝鮮はイラクのフセイン政権のような運命をたどることからは免れたかもしれない。

しかし、金正恩政権となって以来、「核とミサイルを弄ぶ」かのような言動があまりに目立つ。今年2月には、金正恩氏の兄である金正男氏をクアラルンプールで暗殺した事件もあり、北朝鮮の国際社会における印象は、金正日時代と比べても大幅に悪化している。

経済制裁も強化され、国連安保理は8月、北朝鮮からの石炭、海産物などの輸入を禁じる新たな制裁を決めた。これには北朝鮮と友好関係にある中国、ロシアも賛成した。

残る「最後の制裁」として、北朝鮮への原油輸出の禁止もありうる。

これらの国際社会の制裁措置をひそかにかいくぐり、中国、ロシアなどが北朝鮮への投資を進めており、「平壌の風景を見る限り、経済状況がそう悪いとは思えない」との指摘もある。1990年代後半に北朝鮮では大飢饉が発生、多くの餓死者が出たが「いまは深刻な食糧不足が起きている状況ではない」と複数の訪朝者は証言する。

しかし、中朝国境で取材するアジアプレスの石丸次郎氏は「軍内の搾取、腐敗によって、兵士の間で飢えが再び広がりつつある。飢饉の兆しもある」と指摘する。

核の代償を北朝鮮はどれだけ払うことになるのか。瀬戸際外交の行方とともに予断を許さない状況は続くだろう。

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