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10th.Feb.2023

ルフィの闇、アジアの輝き

比日社会の対比を浮かび上がらせた事件

日本での一連の特殊詐欺事件を巡り、フィリピンから日本に強制送還された「ルフィ」を名乗る者たちは、どのようにフィリピンから指示を出してきたのか。フィリピン入管施設の現状や「ルフィ」たちを知る者の証言を追い、ルフィの闇とアジアの輝きという視点から事件の全貌を追った。(石山永一郎)

狛江の現場

その家は多摩川の堤防の横に立つ木造2階建てだった。連続強盗事件の被害者となった東京都狛江市大塩衣与さん(当時90)宅。土手の下の野球場では少年たちが掛け声をあげながらキャッチボールをしていた。

大塩さん宅は増築を重ねてきた形跡があり、部屋数は多そうだったが、特に目立つ住宅ではなかった。少なくとも周辺の住宅の中でひときわ目を引く豪邸ではない。通りかかっても、この家の中に数千万円の被害現金や貴金属があるとは誰も思わないはずだ。

狛江市から1駅の成城学園駅周辺は世田谷区の高級住宅街であり、地価も高いが、この家はなにしろ駅から遠い。狛江駅からは徒歩20分、やや近い和泉多摩川駅からでも徒歩15分はかかる。近くにコンビニなど商店もなく、生活に便利な場所とも思えない。ただ、多摩川の穏やかな流れは大塩さん宅2階から眺めれば、心休まるはずだ。

ルフィたちの犯行は通りかかって豪邸に目を付け、住宅が立派だから金もあるはず、と考えて襲ったという犯行では明らかにない。そもそも普通の豪邸の主であっても、多額の現金や高価な貴金属などを自宅内に置かない。

大塩さんは自宅に侵入してきたルフィの一味である若い男に殴られ、そのまま亡くなった。刺殺でも銃殺でもなく撲殺殺人事件だ。90歳という大塩さんの年齢を考えれば、若い男に思い切り頭部を殴られただけで、致命傷に至ったとみられている。

この大塩さん事件こそが、全国で頻発している広域連続強盗事件の中でも強盗殺人にまで至った数少ない事件だ。

 大塩さん宅前で黙とうをただ、近寄ってシャッターが下りているガレージをのぞくと、車が3台は停められるスペースがあった。近所に住む人々に聞くと、事件前はここに3台の外車が並んでいたそうだが、事件から約3カ月後の2023年4月時点のガレージの中の車をのぞくと、車は1台だけだった。ただし、その車はフル装備で1台約1000万円はするベンツだった。

不動産、金の取引で蓄財か

近所に住む40代の事情通の男性が話す。

「詳細は分かりませんが、近所では金の取引や不動産投資が大塩さんのお仕事だったと聞いています。現金や金などを自宅に置いていた理由はよく分かりませんが、そうした取引の記録をルフィたちは何らかの方法で手に入れたんんでしょうね。メンバーが何度も下見に来て、業者の車を追うなどもやったのでは」

狛江市に住む60代のタクシー運転手は「大塩さんを2度ほど乗せて、この家まで送ったことがある」と話す。

大塩さんのその時の様子を次のように言った。

「2年ぐらい前でしたけど、とてもお元気でしたよ。足腰が弱っている様子はなく、言葉の様子もボケた様子はまったくなかったですね。買い物をしに、狛江駅までバスで出た後、隣駅の喜多見駅まで行って、買い物を抱えた帰りにはタクシーを利用することにしているようでした」

高い立証の壁

警視庁は2023年2月9日までに特殊詐欺などの指示役だったとみられる渡辺優樹容疑者(38)、小島智信容疑者(45)、今村磨人容疑者(38)、藤田聖也容疑者(38)の4人を窃盗容疑で逮捕した。警視庁は彼ら4人がフィリピンからの特殊詐欺を巡る指示役「ルフィ」だったとみている。さらに、日本の高齢者を狙った広域連続強盗事件との関連も調べている。ただ、立証には証拠の壁が立ちはだかっている。

というのも、彼らはマニラ首都圏タギッグ市にあるビクタン収容所などから携帯電話で日本の犯行グループに指示を出していたとされるが、個別な指示を誰が出したのかを割り出し、電話記録を示すことは非常に困難だからだ。

彼らが使っていたスマホは、フィリピンでは一般的な使用者登録のない携帯電話で、日本では「飛ばし携帯」として闇金融や犯罪者の間で1台2万円前後で取引されている。フィリピンは2023年4月からようやく携帯電話の登録を進めているが、現在もまだ未登録の携帯電話が市場にはあふれている。

彼らはその「飛ばし携帯」を複数所持し、当初はマニラ首都圏マカティ市のビル内、身柄拘束後にはビクタン収容所から指示を出していたとされる。日本側で指示を受けるのは、SNSの「闇バイト」を通じて集めた者たちで、日本の各地で頻発してきた強盗事件の実行犯も含まれるとみられている。

しかし、「ルフィ」たちはテレグラム(TELEGRAM)と呼ばれる極めて秘匿性が高いアプリケーションを使っていた。

テレグラムは、ロシア人技術者が2013年に開発した無料の通信アプリで、現在はドイツ・ベルリンに本拠を置く非営利のTELEGRAM MESSENGER LLP社が運営している。メッセージの暗号化だけでなく、一定の時間が経つとデータから自動的にメッセージが消去される機能もある。

テレグラムには自動消去機能も

テレグラムは、個人のメールや携帯電話の発信先をすべて調べ上げるXキースコアと呼ばれる米情報機関のソフトウエェアに対抗する通信ソフトとして開発されたともいわれる。2020年時点で世界に4億人、ロシアだけで3000万人の利用者がいる。ウクライナ戦争においてはロシア国内の反プーチン陣営によって使われている。

テレグラムを使っていた「ルフィ」たちの指示内容は、既に多くが自動消去されている可能性が高い。LLPによると、自動消去される以前のメッセージ内容であっても、「LLPのスタッフであっても読み取ることは不可能」という。

さらに渡辺、今村、小島、藤田の4容疑者は、自分たちが「ルフィ」であると日本で報じられ、強制送還の現実性が高まった後少なくとも数日間、スマートフォンを入管収容所内で所持していた。日本のマスコミほぼ全社がマニラ現地取材に人を送ったことも知っていたはずで、スマホ内に残る証拠隠滅の余裕は十分にあったとみられる。

4人から押収した十数台のスマホやタブレットの解析を警視庁は続けているが、2023年3月現在、彼らが「指示役」だったことを示す決定的証拠の組み立ては難航しているようだ。広域強盗の実行犯から押収したスマホには、彼らへの指示内容が残されているが、もちろん4容疑者の名はなく「ルフィ」「キム」「ミツハシ」などの暗号名で指示は発せられている。

日本大使館は監視すべきだった

渡辺優樹容疑者の場合は、日本の国際手配に基づき、2019年4月19日にフィリピンの国家捜査局(NBI)によって逮捕された。NBIは米国の連邦捜査局(FBI)と似た組織で、地域を超えた捜査を担当する組織だ。

しかし、渡辺容疑者逮捕から1カ月後の19年5月18日、同容疑者の妻を名乗る女性が、自身と子に対する暴力被害で渡辺容疑者を告訴した。その審理が進んでいなかったため、日本に送還されることなく、彼はフィリピン入管の施設に収容され続けた。その間、特殊詐欺だけでなく、日本中を震撼させた連続強盗事件にも関与した疑いが持たれている。

身柄を拘束されながら遠く離れた日本での犯罪を主導することは可能なのか。

そもそも、フィリピンの入管収容所の規則はどうなっていたか。

マニラ首都圏ダギッグの入管施設「ビクタン収容所」は、容疑者にスマートフォンの所持を許していた。収容所入口のイラスト付き掲示には刃物、銃、麻薬、工具などの持ち込み禁止が明示されているが、スマホやパソコンは、少なくともその掲示板では持ち込み禁止物品には含まれていない。

実際、フィリピン入管に収容されている外国人は家族らとの連絡用に携帯電話を所持している場合が多い。そもそも収容者のうち、渡辺容疑者らのような国際手配者は少数派で、大多数は違法滞在者や、観光ビザでの違法就労者らだ。そうした外国人に対し、入管は強制退去のための航空券を自費で確保させており、収容者が外部と連絡を取るためのスマホ所持を大目に見ていた背景がある。

 筆者も「日刊まにら新聞」編集長を務めていた2018年、入管法違反で拘束されていた50代(当時)の日本人男性から「会いたい」との電話を受け、ビクタン収容所とは別のバゴンディワ収容所内で面会。家族の問題など相談に乗った経験がある。所持金がわずかだったその男性は、渡辺容疑者らのような「VIPルーム」をあてがわれることもなく、大部屋内の一畳もない土間スペースで寝起きしていたが、それでもスマホは所持していた。

 日本人が外国で入管に拘束されたり、警察に逮捕されたりした場合、現地の日本大使館は邦人保護の観点から面会に行くことが必須とされている。入管に収容されている日本人が一文なしに近い場合は、帰国費用工面の相談に乗るし、犯罪の容疑者として拘束された渡辺容疑者らのような日本人に対しても人権の観点から容疑や拘束施設の状況をチェックすることが大使館員には求められる。

 フィリピンの入管収容所でスマホ所持が大目に見られていたことを、在フィリピン日本大使館は知っていたはずだ。同大使館には警察庁から出向している書記官も複数いる。渡辺容疑者らがスマホを使って日本での犯罪を指示していたことが事実だとすれば、入管と特別な交渉をしてでも彼らのスマホだけは取り上げ、その後も何らかの監視を続けるべきだった。

フィリピンは2020年3月から新型コロナ感染拡大防止のため厳しい外出禁止令(ロックダウン)が出され、入管収容所や刑務所なども面会禁止措置を取っていた。大使館員の接見も難しい状況だと聞いているが、フィリピン側との交渉の余地はいくらでもあったはずだ。

悪名高かった入管

フィリピンに滞在する外国人の間で、入管は長らく悪名高い組織だったことは事実だ。

「樹海旅団」などフィリピンを舞台にした作品が多数ある作家の内山安雄氏は以下のような事件を語る。20年ほど前に日本人男性が入管に拘束されたケースだ。 

「マニラのマラテ地区でラーメン店を経営していた知人の日本人男性が突然、入管に拘束された。その男性にはフィリピン人の妻がおり、ビザには問題なかった。しかし、その妻が男性を『ペルソナ・ノン・グラータ』(好ましからざる人物)として入管に告発したんですよ」

ペルソナ・ノン・グラータは、外交関係に関するウィーン条約に規定されている当事国の権限で、理由を開示することなく一方的に「好ましくない」外国人を国外退去処分などにできる。

この発動は通常、テロリストやスパイ容疑者らが対象だが、フィリピン入管は家庭内問題でも発動していた。

「その妻が男性を入管に訴えた理由は男性の浮気でしたが、それも本当の理由ではなく、妻とその愛人のフィリピン人男性がグルになり、日本人男性を強制送還してラーメン店を乗っ取ろうとしたためでした」(内山氏)

男性は入管収容所内から事実無根を訴え続け、後に釈放されるが、ラーメン店は最終的に手放すことになったという。

筆者も1990年代初め、まだマニラの旧市街にあった入管収容所を訪れた際「浮気を理由に妻に告発され、収容された」という日本人男性に会ったことがある。当時の収容所は一室8畳間ほどの広さ。下水や排泄物の臭いが漂う薄暗い場所に複数の日本人を含む十数人の外国人がいた。そこは人間の収容所というより動物の檻のようだった。

外国人にとっての絶対権力者

フィリピンで暮らす外国人にとって入管は「絶対権力者」であり、日本人滞在者の間では「できるだけ関わりを持たないこと」が鉄則とされてきた。筆者が2021年まで勤めていた日刊まにら新聞の創業者・野口裕哉(ひろちか、故人)氏は「親、夫、きょうだいが入管職員であるフィリピン人は絶対にスタッフに採用しない」と明言していた。労使トラブルが起きた時、ペルソナ・ノン・グラータを発動されると勝ち目がないためだった。

ただ、そういった入管の腐敗体質も2016年6月からのロドリゴ・ドゥテルテ政権下でかなり浄化が進んだ。マニラ空港の入管職員が中国人向けオンライン賭博運営会社(POGO)関係者を不正入国させていた問題を巡って出入国管理庁は20年2月に毅然と対応し、空港入管職員ほぼ全員の配置転換を断行した。それでも汚職体質が収まらなかったことからドゥテルテ前大統領退任直前の22年6月には行政監察院が空港入管職員45人を免職処分とした。

フィリピンの入管か日本の刑務所か

日本とフィリピンとの間には、そもそも犯罪人引き渡し条約は結ばれていない。

その中で警察庁と在フィリピン日本大使館は、フィリピン政府にうまく働きかけ、「ルフィ」たちを身柄拘束させた。フィリピン側も日本側の要請にかなり積極的に応じ、渡辺容疑者ら「ルフィ」グループを次々と逮捕・拘束してきた。

日本が犯罪人引渡し条約を結んでいるのは米国と韓国だけだ。フィリピンは今回の捜査でも日本側の要請に条約外で協力したにすぎない。今後もフィリピンがさまざまな日本での犯罪の指令地になり得ることを考えると、二国間における犯罪防止のための本格的な協力体制づくりが必要だろう。

渡辺容疑者らは身内に暴行罪などであえて告訴させることで抵抗したとみられる。「ルフィ」たちの特殊詐欺被害者にフィリピン人はいなかったが、こういう告訴が残っている限り、フィリピン側にも被害者がいることになる。こうなると、日本への強制送還前にフィリピンでの審議が優先される。判決で刑が確定すれば、フィリピンの刑務所に収容されることになる。フィリピンのニュービリビッド(モンテンルパ)刑務所の例では、金さえ払えばエアコン付きの個室を得られ、刑務所内での行動はほとんど自由だ。自分の妻ら家族も週1回は刑務所内の個室に招いて泊めることができる。中南米の刑務所にも「人道上の配慮」として似たような緩やかな刑務所がある。

「ルフィ」たちが日本に強制送還され、詐欺罪で起訴された場合は最高10年の懲役刑判決が予想される。日本の刑務所は「世界で最も厳しい」刑務所の一つだ。

最高10年の日本の刑務所暮らしを選ぶか。それとも当面はVIP待遇でのフィリピンの入管収容所と刑務所暮らしをしてそれを先延ばしにするか。

彼らはそれを先延ばしする方を選んだようだ。

それどころか、より凶暴化する第3の道を選んだようにも見える。

当初は特殊詐欺を首謀していたとされる渡辺優樹容疑者らはその後、日本で「叩き(強盗の隠語)募集」などSNS広告に応じる者を使い、強盗まで指示するようになった疑いが持たれている。

豪遊の日々との落差

それが事実だとすれば、なぜ彼らは凶悪化していったのか。

日本の警察、行政、金融機関による呼び掛けや対策が進み、特殊詐欺の「効率」が悪くなったことも一因だろう。だが、過酷な収容所暮らしの中で彼らの感覚がまひしていったことの方が大きかったようにも思える。

マニラ在住30年を超える60代の日本人男性によると、渡辺容疑者はマニラ湾沿いの埋め立て地に立ち並ぶカジノのうち、日系の「オカダマニラ」のVIPルームで連日、バカラなどの賭博に浸っていた。日本円で1000万円以上をカジノに預けて毎日のようにプレーしていたという。

 2020年3月に新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウン(都市封鎖)が始まるまでは、マニラのビジネス街マカティのカラオケパブに足繁く通う姿が目撃されている。そのうちの一軒で「ママ」をしているフィリピン人女性(49)に23年1月、渡辺容疑者の写真を見せると次のように証言した。

 「2019年の前半、しょっちゅう店に来ていた。スリムで可愛らしい20代前半のホステスを常に指名し、VIPルームで高価な酒を注文していた。でも、その子が1カ月で店を去ると、もう来なくなった」。このホステスは近くの別の店に移ったとみられ、この店の入口にいた警備員たちも、渡辺容疑者の顔写真を見せると「知っている」と口をそろえた。彼らは小島智信容疑者(38)の顔も知っていた。

フィリピンの入管収容所は「ここにいるだけで心が荒(すさ)み続ける」(筆者が面会した日本人男性)場所だ。渡辺容疑者らが収容所内で悶々(もんもん)とする日々を送っていたことは想像に難くない。いくら「特別待遇」を受けていたとはいっても、マニラのカジノやカラオケパブで豪遊をしていた彼らにとって生活感の落差は大きかったはずだ。

 フィリピンメディアの複数の記者によると、「ルフィ」たちは国家捜査局(NBI)または入管幹部に1億円を超える賄賂を渡して逃亡することを画策していたという。その金を用立てるため、強盗もいとわず指示するようにエスカレートさせていった可能性はある。

 渡辺容疑者を暴行で告訴した女性について、レムリヤ法相は「収容所を訪れて容疑者とキスをしている」と明かし、告訴は虚偽との見方を示した。渡辺容疑者はこの女性と、マカティ界隈で知り合った可能性が高い。訴状によると、女性の住所はカジノ「オカダマニラ」に近い埋め立て地の高級マンションで、渡辺容疑者もかつては一緒に暮らしていた可能性がある。一方、訴えられた側の渡辺容疑者の住所はマカティ・シネマ・スクウェアと呼ばれる商店街と住居タワーが組み合わさったビルの2階だった。この時はダミー住所として使われた可能性が高いが、それ以前には実際に渡辺容疑者が一時的に住んだ場所だった可能性もある。

ちなみに筆者が2017~21年まで4年間編集長として働いていたフィリピンの邦字紙「日刊まにら新聞」編集部は、そのタワービルの1階にあった。渡辺容疑者はその2階の住人だったことになる。

成長率7・5%のフィリピン

 フィリピンは新型コロナが既に収束し、2022年は7・5%の経済成長を記録した。コロナ禍前の12~19年にも8年連続で6%以上の経済成長を続けている。

高度経済成長時代ともいわれるフィリピンでは、インターネットの通信環境がまず改善され、「ルフィ」たちの犯罪を可能にした。日本よりはネットのスピードは遅いが、5Gが普通に使えるレベルには至っている。

さらにロドリゴ・ドゥテルテ前大統領が「抵抗する者は殺せ」と檄(げき)をとばした麻薬戦争を通じ、結果的に治安が劇的に改善した。国際的には国連人権委員会や人権団体にドゥテルテ前大統領は「人権無視の麻薬戦争」と非難され続けているが、フィリピンの麻薬密売組織は短銃どころかアジトにはマシンガンやロケット砲まで用意して警察などの取り絞まりを迎え撃つため、抵抗する密売人と戦闘になる場合が元々多かった。

一方、ノイノイ・アキノ大統領時代の2014年に全国で1万8268件起きていた殺人事件はドゥテルテ政権下の2018年に同9017件と半数以下になった。新型コロナ禍では外出禁止令が出されたこともあってさらにこの数字は減り続けてきた。

10年ほど前と比べると、汚職もかなり減ってきている。これも麻薬戦争と関係しており、麻薬密売などに関わっていた悪徳警官約2万人を懲戒処分とし、約5千人を免職とした。

「暴力団と一体化している」と不名誉な形容をされてきたフィリピンの警察の浄化も少しずつ進み、マニラ空港入管を中心とした入管の汚職もかなり摘発された。今回の「ルフィ」たちへのVIP待遇を巡ってもビクタン収容所の所長は更迭され、職員全員が解雇された。

ドゥテルテ政権下の麻薬戦争で少なくとも6000人以上が殺されたことから、国連や国際的人権団体はドゥテルテ氏を「人道に反する罪」で裁こうとしている。しかし、フィリピン人の多くはドゥテルテ前大統領を熱烈に支持し、任期中の支持率は8割前後で推移した。歴代政権が手を付けられなかった国の宿痾(しゅくあ)ともいえる警察や入管、さらには国軍の腐敗にもメスを入れたゆえだった。

入管収容者の中でも「ルフィ」は例外

日本側からは「緩く腐った」入管収容所に見えたようだが、その緩さは、刑務所ではなく入管施設ゆえの人道的配慮でもあり、腐敗も1980年代からフィリピンを見てきた筆者のような者にとっては「かなり改善されてきた」と映るぐらいだ。

そもそも、2021年にスリランカ女性ウィシュマ・サンダマリさんを収容中に死亡させた名古屋入管の問題など日本の入管収容所の「闇」の方が国際的には問題視されている。米国務省は「2021年人身売買報告書」の中で、33歳で亡くなったウィシュマさんの遺族代理人を務める指宿昭一弁護士を人身売買と闘う「ヒーロー」の一人に選出している。

日本人には残念ながらフィリピン入管を「緩く腐った」と批判する資格はないと思える。入管施設は基本的に入管難民法違反者を一時収容する場所であり、刑務所とは違う。入管難民法違反で外国人が起訴される例は稀で、下される処分は本国への強制送還という行政処分だけの場合が圧倒的に多い。これは日本もフィリピンも同じだ。

ただ、「ルフィ」たちだけは例外だった。

彼らは日本で裁きを受けるためにフィリピン当局が協力して身柄を拘束した刑法容疑者だ。単なる入管難民法違反者ではない彼らにはVIP待遇どころか、他の収容者より厳しく監視できる施設に収容すべきだった。国家警察本部内にあるビクタン収容所は、本来、彼らのような国際手配犯を中心に収容する施設だったが、それにしては「緩すぎた」ことは事実だ。

ただ、既に書いたように、そこに日本大使館が監視強化に介入していれば、さらなる犯罪を防ぐことができたことも事実だ。

多摩美中退の女性ら日本の若者続々拘束

フィリピンでは、渡辺容疑者ら4人の日本送還後も、「ルフィ」の一味だった山田李沙容疑者(26)が日本に送還されたほか、熊井ひとみ容疑者(25)、藤田海里容疑者(24)の2人がマニラ首都圏パラニャーケでフィリピン入管に身柄拘束された。国際手配の容疑はいずれも窃盗だった。

それぞれの役割は、山田容疑者が銀行ATMなどから金を引き出した高齢者から警察官や銀行員を装って金を受け取る「受け子」、熊井、藤田両容疑者はフィリピンから日本高齢者らに電話をかけて特殊詐欺に引き込む「かけ子」だったとみられる。

特に熊井容疑者は東京都三鷹市育ちで、多摩美術大卒の「お嬢さん」だったことが話題を集めている。東京の美大の中でも多摩美大は、東京芸大、武蔵野美大とともに美術系ベスト3に入る大学だ。

その多摩美大に熊井容疑者は2年浪人後に20歳で入学。新入生が参加するミスコン『ミスフレッシュキャンパス』に出場しファイナリストに選ばれなどしたが、卒業せずに3年時に中退している。つい最近まで彼女は多摩美大生だったのだ。

フィリピンの出入国管理庁(入管)や国家捜査局(NBI)の捜査記録をたどると、いまだ日本に送還されていない「ルフィ」グループのメンバーがフィリピン国内に残っている可能性が浮かび上がる。

2019年11月、フィリピン入管は日本側の国際手配に応じ、マニラ首都圏マカティ市サンアントニオの廃業したホテルビルを拠点としていた日本人特殊詐欺グループ36人を一斉に拘束した。当時から36人のリーダーは渡辺優樹容疑者だったとみられるが、同容疑者はこの時、摘発を逃れたため、この36人には含まれていない。

実は、36人のうち少なくとも1人が入管収容所から逃げたことを示唆する証言がある。

マニラのビジネス街マカティで長年、カラオケパブを経営する日本人男性は次のように話す。

「グループ36人のうち5、6人が頻繁に出入りしていたマカティ最高級とされるカラオケパブに摘発当日夜に“偵察”に行った。すると、女性ホステスたちが36人摘発のニュースを聞いて大騒ぎだった。驚いたのは36人のうち1人が100万ペソ(約240万円)の賄賂を入管収容所の職員に『保釈金』名目で渡し、即日、釈放されたと女性たちが話していたことだった。賄賂で釈放された男のお気に入りだった女性は、翌日から店を辞めたまま行方不明になっている」

証言が事実とすれば、この男は誰だったのか。今回、日本送還が注目された4人以外の「第5のルフィ」だった可能性もある。

国家捜査局(NBI)や入管の一連の発表や日刊まにら新聞の報道によると、2019年11月の最初の36人摘発後も「ルフィ」グループのメンバーだった可能性のある日本人特殊詐欺犯の拘束、逮捕は続いた。2020年2月11日にマニラ首都圏南方のラグナ州ファミ町でNBIが21〜31歳の日本人の男8人を逮捕、21年4月にはマニラ首都圏パラニャーケのホテルで渡辺優樹容疑者と小島智信容疑者を逮捕している。

その後もフィリピン入管は2023年1月9日にマニラ首都圏パサイ市のロハス通り沿いで山田李沙容疑者(26)を拘束(日本に強制送還済み)、2月28日には警察官や財務省職員を装って銀行カードなどをだまし取っていた疑いでテラシマ・ハルナ容疑者(27)=漢字不明=、3月1日にもテラシマ容疑者と似た容疑でニシオ・ヨシユキ容疑者(59)=同=を拘束。熊井、藤田両容疑者の拘束は3月10日で、場所は首都圏パサイ市のBFフォームズ。この住宅地は日本人も多数住む便利がいい中級住宅地だ。

テラシマ、ニシオの2容疑者と「ルフィ」との関係は不明ながら、なんらかの関わりがあった可能性はある。

ニシオ容疑者を除くと、皆、驚くほど若い。プロの犯罪者というより「素人集団」のようにさえ思える。

入国規制が緩やかな国

日刊まにら新聞の竹下友章記者は次のように話す。

「フィリピンはビザなしの観光客でも30日間滞在ができ、その後に入管で観光ビザを申請すればプラス最長59日間滞在できる。3カ月滞在した後も、いちばん近い外国であるコタキナバル(マレーシア・ボルネオ島)などに出国して1泊2日で戻れば、また同じ手続きで3カ月の滞在が可能。フィリピン人と結婚した場合は年単位でビザが出る」

その一方、企業などで働く日本人が就労ビザを取得する手続きは非常にやっかいだが、「ルフィ」たちがやっていたことは犯罪ゆえに逆に就労ビザは不要となる。

アジア各国のビザ事情に詳しい旅行作家・下川裕治氏が指摘する。

「タイの場合、観光目的で滞在し続けられるのは75日まで。その後、出国してすぐ再入国すると、滞在が許される日数が75日より短くなる場合が多い。アジア各国が観光ビザ延長の手続きを厳しくしつつある中、入国するごとに3カ月は滞在できるフィリピンは出入国管理全般が緩いという印象がある。長期旅行者にとってはありがたいことだけれど」

フィリピンはタイと比べるとまだ、外国人観光客は少ないが、国としての成長戦略の一つに観光業の発展をうたっているゆえ、入国規制は緩い。これが、日本人特殊詐欺犯の逃亡先になっている最大の理由でもある。そもそも、日本から片道6時間以上かかるタイと比べ、フィリピンは片道4時間の「南の隣国」で近い。

暴力団員も肩で風は切れない

かといって、マニラに日本の広域暴力団の現役組員が常駐しているかというとそうでもない。元組員はいるが、飲食店などかたぎと変わらない商売をしている例が現在のフィリピンではほとんどだ。

日本の暴力団員はタイのバンコクなどでフロント組織が主に不動産業などを営んでいる。

旅行作家の下川裕治は次のように話す。

「タイで特殊詐欺グループが捕まった時、そういったフロント組織の男に感想を聞いたことがあるが『あの手の詐欺は俺たちは決してやらない』と言っていた。彼らも日本の中小企業相手に沼地を工場用地として売りつけたりしているんだが、形式上は合法すれすれで、1回の取引で数億円規模の収益が上がるようなビジネスをしている。掛け子、出し子、叩き(強盗)など役割が多岐にわたる複雑な犯罪は好まない。『あの連中のようなしちめんどくさいととはやらないし、そもそもカタギの高齢者から金を欺し取るようなシノギをしたら極道の世界では破門になる』とのことだった」

日本の暴力団員がマニラの繁華街で「肩で風を切る」ようなふるまいをしてフィリピン人の反感を買えば「撃ち殺されるだけ」と事情通の日本人は口をそろえる。

建設業でフィリピン滞在20年以上の日本人男性経営者は次のように話す。

マニラ湾に近いあるホテルで全身入れ墨の見るからに極道の若い男がフロント付近を歩いていた。しかも、短パンにランニングシャツで入れ墨が丸見えだった。その男に男性経営者は関西弁で淡々と声をかけた。

「兄ちゃん、ここはフィリピンなんや。部屋に戻って服着替えた方がええで」

若い男はすごみながら言い返した。

「てめえ、誰に口聞いてやがる。何様だあ。俺の手下20人すぐに呼ぶぞ!」

それを聞いた男性経営者は、定宿にしていたホテルのセキュリティガードにすぐに近寄り、英語で声を掛けた。

「銃を借りたいんだけどいい?」

ガードとは顔見知りで、男性経営者が冗談で言っていることは彼も分かっている。

ガードは答えた。

「旦那、リボルバーとカートリッジのどちらがいいですか。自動小銃もありますが」

「リボルバーがいいな」

この経営者は英語を話すかたぎながら、極道業界通で射撃の名手でもあった。

若い男の所に戻り、さらにこう言った。

「兄ちゃんさあ、あんたの手下も来るだろうけど、俺がここでリボルバー借りて撃つ方が早いと思うけど」

すると若い男は怒りの表情を浮かべつつも、部屋に戻り、入れ墨が目立たないシャツとズボンに着替えて来たという。

実話である。フィリピンに長年暮らす日本人は、英語を全く話せないような極道をほとんどこわがらない。マニラのセキュリティーガードたちはほぼ全員、短銃を所持しており、信頼関係にあるフィリピン人さえ周辺にいれば、こわがる必要はないからだ。

フィリピンに何度か来ている日本の暴力団員は「フィリピンでは目立たない方がいい」ことをよく知っている。日本人とフィリピン人がけんかになればフィリピン人には絶対に勝てない。フィリピンは警察と暴力団の一体化がまだまだ残っている国だからだ。それでもみかじめ料を取りに来る警察官がドゥテルテ政権下で激減し、カラオケバーの経営者らは歓迎している。

「ルフィ」たちはこう言った世界とは無縁な連中だったはずだ。一部のメンバーに日本の極道と付き合いがあったとしても、みかじめ料を「取られる側」にすぎなかったと思える。

日本の若者を覆う暗雲

「ルフィ」たちのSNS上での誘いに乗り、高額闇バイトに手を挙げる若い世代について、フィリピンの事情にも詳しいジャーナリストの中嶋弘象氏(33)は次のように話す。中嶋氏は「フィリピンパブ嬢の社会学」(新潮新書)の著書だ。

「同世代と『ルフィ』について話すと、騙(だま)した高齢者からATM近くで金を受け取る『受け子』ならやるかもしれないと言う奴が少なからずいる。給料も上がらず、日本の将来に何の希望も持てない若者は多い。『ルフィ』が募集する闇バイトに手を出す連中の心理を私の世代は共有しているかもしれない」

日本を暗雲が覆う一方、フィリピンは高度成長時代の輝きの中にある。日本人の平均年齢の中央値が2021年の時点で48・4歳なのに対し、フィリピン人は24・5歳と圧倒的に若い。日本の占領統治を受けた第2次大戦後、国中が最もエネルギーに満ちあふれていると言ってもいいだろう。かつてはインフラ整備の遅れ、汚職のまん延、治安の悪さなどゆえ「アジアの病人」と呼ばれてきた国は近年、劇的な変貌を遂げつつある。高い出生率と旺盛な個人消費に支えられた経済成長は今後も続くとみられている。

世界経済フォーラムが算定した男女平等や女性の社会進出の度合いを示す指標でフィリピンは世界17位でアジアトップ。これに対して日本は「女性国会議員の少なさ」や「女性の経済参加と機会」などの評価が低く、世界120位だ。

1人当たりの国民総生産(GDP)は日本の10分の1ほどだが、若い世代は確実に未来に明るい希望を抱いている。30年後には現在の韓国、シンガポール、台湾、香港のように1人当たりのGDPでフィリピンが日本を追い抜いている可能性さえある。

アジア各国の最新事情に詳しい下川裕治氏は次のように話す。

「20年ほど前までのアジア各国は日本と比べると確かに『後進地域』だった。しかし、アジア各国・地域の社会の活気は少なくとも日本を上回っている。物価も上がり、バンコクの缶ビールは日本より高くなった。急激なアジアの変化に認識が追いついていない日本人は多い」

フィリピンではあり得ない犯罪

 フィリピンは独居老人がほぼ皆無な国だ。これはタイなど他の東南アジア諸国の多くに共通する世帯事情でもあり、高齢者は子どもや親戚とまず例外なく同居している。

 親日意識がアジアでナンバーワンとも言えるフィリピン人に「ルフィ」たちが高齢者をだますなどして金を奪っていたと説明すると「それはひどい連中だ」と彼らは憤りをすぐに共有する。

その上で「その時、お年寄りの子どもたちはどうしていたのか?」と聞かれる。

高齢者だけの世帯だったと説明すると「フィリピンではあり得ない」と誰もが驚く。日本には日本の事情があるわけだが、フィリピン人には日本の「家族」のあり方が大きな謎と受け止められる。

「ルフィ」たちが手を染めた犯罪の闇は深い。ただ、その背後には、30年以上経済が停滞したまま高齢化が進む日本という国が抱える闇も広がっている。「ルフィの闇とアジアの輝き」という文脈で事件を捉える方が、実は核心が浮かび上がると思っている。

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