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27th.Feb.2022

南シナ海領有権紛争の最前線

スカボロー礁航海記

ベニグノ・アキノ政権下のフィリピンと中国は激しく対立してきた。しかし、ドゥテルテ政権になると一転した。2016年10月に、ドゥテルテ大統領は中国を訪問して関係を修復し、中国から巨額の援助を得るとともに、ルソン島西方のスカボロー礁の領有権を棚上げすることで合意した。フィリピン漁船の同礁での漁も再開された。現場は実際にどうなっているのか。

真っ青な海に小さな漁船が滑り出した。右手に無人島らしき真っ平な島が見えた。ヘルマナス島という名だという。次第に港の景色が小さくなっていく。
 船の大きさは日本の釣り船ぐらいだ。ただ、左右になだらかな弧を描いたトリガーが張り出し、海面を押さえている。このトリガーのおかげか、揺れはさほどでもない。
船に乗るフィリピン人漁民は、船長で44歳のヨヨイ・リソルら7人だった。みな、スカボロー礁を何度も行き来しているベテラン漁民だった。
 トリガーと船本体の間には板や竹が敷かれ、居住スペースにもなっており、空間的には余裕があった。
 「ドゥテルテのおかげだよ。スカボローに行っても中国船に邪魔されなくなった」 
 船が出発したルソン島北西部の小さな漁村インファンタでは、漁民たちが笑顔でそう話していた。
ドゥテルテ大統領と中国の習近平国家主席との「領有権棚上げ」合意以前は、フィリピン漁船がスカボロー礁に近づくと、中国海警局の監視船の妨害を受け、事実上、フィリピン漁船は漁ができなかった。
本当に自由に漁ができるようになったのか。実際の様子はどうなのか。なんとしてもスカボロー礁を見たかった。
 そのスカボロー礁での漁から戻ったばかりだった船長のリソルを前日から何とか口説き、再びスカボロー礁に向かってもらう承諾を得た。船の出発は2016年12月12日午前11時だった。
 もっと早朝に出るものとばかり思っていたが、リソルによると、「スカボローまでは海が凪ぎでも片道16時間はかかる。このくらいの時間に出れば、ちょうど夜明けに着く」という。
 現場では中国の監視船がまだ遠巻きに見守っていると聞いていた。真っ暗闇の中、うっかり監視船に近寄ってしまってはまずい。出発時間は確かに妥当だった。

8ノットで真西へ

船に乗り込む直前、インファンタの岸辺で沿岸警備隊に呼び止められた。
「まずい」
 とっさにそう思ったが、幸い「許可証」の提示などやっかいなことにはならず、名前を聞かれただけだった。名前を言うと、さっとライフジャケットまで手渡してくれた。

出発から1時間ほどたつと、ルソン島の海岸は水平線からわずかに上に見えるほどになった。それでも、携帯電話はまだ電波を拾った。
 しかし、2時間を過ぎると携帯に反応する電波はまったくなくなった。360度、島影はいっさい見えない。船は上下に揺れながら小さな波をかきわけ、傾く太陽を追い、真西に進んだ。
 船の時速は8ノット(約15キロ)ほど。自転車ぐらいのスピードだ。
 船に弱い人は、これでもかなり船酔いをするはずだ。
 ただ、私は4,000トンほどの中型船でアルゼンチンからドレーク海峡を越えて南極へ渡ったことがある。 
 ドレーク海峡は世界で最も荒れる海として知られる。古来、船乗りは南緯40度で吠え、50度で狂い、60度で絶叫するといわれる。プロの船員でも「降ろしてくれえ」と叫ぶのだ。
 実際、ドレーク海峡上の3日間(往復6日間)、船は実測で左右に約35度、揺れ続けた。なにしろ、個室の床に置いたすべり止めつきのパソコンが、部屋の床を壁から壁まで行ったり来たりするのだ。それを見つめながら、動く気力もわかない。

意を決して甲板にも出たが、把手を握りしめながらの命がけだった。もし、凍れる海に滑り落ちたら、まず助からない。
 あの海を越えてから、私は船にいっさい酔わなくなった。こつも覚えた。うつむきにならないことだ。うつむきの姿勢で本など読めば、たちまち吐き気に襲われるが、仰向けになり、上にかざして読めば、なぜか平気で読めるのだ。
 あのドレーク海峡に比べれば、南シナ海は、湖の上を滑るようにも思えた。

「老人と海」の世界

食料や飲料水はすべて自前で用意していたが、船員たちが作ったパンシット・カントン(太麺焼きそば)を勧められて食べた。うまかった。
 船の操舵室の天井のふたは開けてあった。船長のリサルは狭い操舵室から上半身を出し、前方を目視しながら船を進める。
 食事もすると、眠くなってきた。確保した寝場所は操舵室の天井の上で、船長の背中側だ。上には幸い天幕も張ってあった。ドレーク海峡で覚えた仰向けの姿勢のまま、うたた寝をした。
 2時間ほどして目覚め、時計を見ると午後3時04分。陽がかなり傾いていた。
 陽を浴びてきらきらと輝く波間を見つめていると、トビウオ1匹、海面を走った。 
 インカ帝国時代の船を模した「コンティキ号」で太平洋を進んだヘイエルダールの航海記に、大量のトビウオが船に飛び込んでくる話があったことをふと思い出した。

午後3時12分
 進行方向の横から波がうねり始めた。「波が少し荒い。スカボロー到着は明日の朝6時だな」
船長と交代した別の操舵士が言った。確かに少し波が高くなり、上下に1メートルほど揺れながら船は進んだ。

午後4時35分
 南方向5キロほどだろうか。客船が見えた。出発以来、初めてみた大型船だ。操舵士に聞くと「マニラから香港に向かう客船だ」という。後に調べると、マニラ、香港、台湾の高雄などを結ぶ南シナ海航路は、5泊6日ほどの手軽な豪華客船によるクルーズ航路として人気を集めているようだ。3港巡回で値段も食事つきで6万4320円(スタークルーズ)と意外に安い。

午後5時10分
 公園の池のボートのようなひとり乗りの小さな舟とすれ違い、ぎょっとする。漁師がひとり、乗っていた。エンジンはついていたが、もうルソン島を離れて6時間だ。外洋をあんな小舟で進むとは。トリガーもなく、大波をかぶればあっという間に藻屑になりそうな小舟だった。
 船員たちに聞くと「(インファンタに近い)イバの漁師でマグロの一本釣り狙いだ」とあっさりいう。
 孤独で命がけの漁であるはずだ。ヘミングウェーの「老人と海」のような世界を見た思いだった。
 この小舟の話から、船員たちが「昔、200キロを釣り上げた」「おれは150キロ」などと自慢話を始めた。マグロはインファンタでも、1キロ200ペソ(約440円)ほどで売れる。その話の中で、初めてこの船の正式名がわかった。「ツナキャッチ(マグロ捕獲)号」。この船にとってもやはりマグロは別格の獲物のようだ。

午後5時25分
 波の高低差1.5メートルほどになった。出港以来、いちばん揺れている。
 陽が暮れる前にと、トイレに立った。といってもトイレなどはなく、船べりに立って渡し棒をつかんで用を済ます。
 これが思った以上にたいへんだった。
 船がかなり揺れるので、片手は渡し棒をぎゅっと握る。倒れないように両足も踏ん張る。そうやって全身の筋肉をこわばらせながら、下半身の一部だけを弛緩させるというのがどうにも難しいのだ。踏ん張る筋肉と緩める筋肉が近すぎるのだ。
 3度ほど試みてようやく成功した。
 夜になって大のほうも済ませたが、踏ん張る筋肉が一致するのか、こっちは簡単だった。

午後5時45分
 ふと気づくと東の空に煌々と輝く月があった。ほぼ満月だ。実に明るい。360度満天の星空を期待していたが、月が明るすぎて、西方に一点輝く金星しか星は見えない。
 さっきから操舵士は、携帯電話のような端末で位置情報をチェックしている。船には無線もあり、沿岸警備隊やほかの漁船とひんぱんに交信をしている。沿岸警備隊には現在地を知らせているようだ。スカボロー礁に向かう漁船の動きはフィリピン側も把握しようとしているようだった。

午後8時00分
 船長の無線にさっきからトゥー、トゥーと鳴るモールス信号が入り続けている。「スカボロー近海でマグロ漁をしている連中からの信号だ」という。
 さきほど見たような、外洋を平気で走る小舟の漁師たちのモールス信号からなのか。国際電話が容易につながるようになった21世紀のいまも、アジアの漁業ではモールス信号も立派に使われている。
 インファンタで乗り込む漁船を物色していた時、漁民に「あの船は無線がないからやめたほうがいい」と言われたことを思い出した。無線のあるなしの差は確かに安全確保の面で大きな差となる。
 私は非常用に衛星電話「BGAN」(ビーギャン)も持ってきていた。
しかし、本格的な無線機やBGANは値段も高い。小舟でマグロを狙う漁民は、おそらく貧しく、モールス信号の送受信機が精いっぱいなのではないか。
 月がさらに高く昇り、ほぼ真上に来た。快晴なのだが、真上の月が明るすぎて、相変わらず、金星以外の星が見えない。

午後8時45分
 小瓶で持ってきたウイスキーをひとくち飲み、眠る準備を始めた。寝袋には入らず、寝袋をほどいて敷布団代わりに使った。これで背中が楽になった。熱くも涼しくもない。どちらかというとややひんやりする。

中国の監視船が現れる

13日午前4時20分
 目が覚める。ぐっすりと眠っていた。ちょうどいい揺れなのか、実によく眠れた。
空を見ると月がすっかり西に傾いていた。

午前5時20分
 月が沈んだ。
 するとまもなくして、南の空に南十字星が浮かびあがった。向かって右手側の星が少し暗い変光星だ。南十字星に似た「にせ十字」と言われる星もあるので、方角も確認したが間違いない。
 南十字星をはっきりと見るのは、2012年に同じ南シナ海の南沙諸島・パグアサ島を訪れたとき以来だ。そのときは、パグアサ島の草むす滑走路に寝転がり、くっきりと輝く南十字星を仰ぎ見た。
 フィリピンでもマニラのような都会では、南十字星はまず見えない。それほど明るくなく、角度もやや低いからだ。
 船員がコーヒーをくれた。
 私が「キャラメルコーヒー」と呼ぶミルクと砂糖をたっぷり入れたフィリピン定番のインスタントコーヒーだ。いつもはへきえきするが、さすがに身体が疲れているのか、腹にしみてうまい。中東取材でひと息つくときに甘いチャイがしみるのと似ていた。

午前6時45分
 船長のリソルが「スカボローが見えたぞ」と東の海を指す。「おお、見えた、見えた」と船員たちが何人か立ち上がる。
 私も立ち上がって目を凝らしたが、まったく見えない。これまでも、彼らからは「あそこに漁船がいる」などと何度か指をさされたが、ほとんどの場合、私には見えなかった。遠くを見る漁民たちの視力は私とは段違いだった。

午前6時50分
 リソルが「中国の監視船がいるぞ」と小さく叫んで指さした。
 これも私には見えない。その姿がようやく見えるようになったのは、10分以上進んでからだった。確かに水平線上に、漁船とは違う船影が見えた。
 船員たちの中国の監視船に対する恨みの記憶は生々しかった。
 船員のひとり、44歳のロナルド・ダヨットは次のように証言する。2016年7月のことだ。
「スカボローでは中国の監視船にひどい目に遭ったよ。奴らはおれらの船の回りをぐるぐると回り、いきなり放水を浴びせてきた。ものすごい水圧で、まともに浴びたおれは、2メートルほど身体を飛ばされた。あやうく船から落ちるところだった」
 恐怖を感じたロナルドは「降伏だ、降伏だ」と仲間に叫んだ。仲間も同意し、降伏することにしたが、中国人にどう伝えればいいのかで議論になった。
 「バンザイの恰好で手を挙げて並ぼうと言ったら『中国ではこうじゃなかったか』と仲間のひとりが首の後ろに両手を回すポーズを提案した。意見がわかれているうちにまた放水され、結局、バンザイで並んだ」
 すると、監視船の中国人は片言の英語で『フィリピン、ゴー、ゴー』と言う。帰れと言う意味らしいので、船べりで、うんうんとみなでうなずいた」

午前7時00分
 中国の監視船ははっきり見えてきた。揺れる船の上でなんとか望遠レンズの焦点を当てると、船体に黒い文字で「COAST GUARD」と書かれている。中国海警局の監視船だ。
 中国海警局は、諸外国の沿岸警備隊や日本の海上保安庁とは任務がやや異なる。諸外国の沿岸警備隊が海上交通安全確保や海難救助捜索も担当するのに対し、海警局の任務にこれらは入っておらず、中国交通運輸省(部)が担当する。海警局の主要任務は領海警備、密輸など海上犯罪取り締まり、海賊対策など海上治安維持などで、より軍、警察的な性格が強い。

環礁内は禁漁区か否か

かつて、ロナルドに放水を浴びせたその海警局の監視船は、動く気配がなかった。 
 遠くからじっとこちらを見ているだけといった様子だった。
 船の右舷(北側)に白波が立っていた。確かに環礁があり、波がはじけていた。目を凝らすと、環礁の中に点々と黒い岩が5つほど見えた。海面から人の背丈ほど突き出ている。
 中国の監視船は、漁船から見て環礁と逆方向に3隻いた。5キロは離れていたと思う。
 環礁から同じ距離を保ちながら、環礁の外側を大きく回っている様子だった。相変わらず、近寄ってくる様子はない。
 船長のリソルが言う。
「先週来たときに環礁の中に入ろうとしたら、中国船からゴムボートが近づいてきて追い返された。でも、そのときには中国の漁船も環礁の中から追い出していた。びっくりしたが、これならまあ、平等ってことになる。フィリピンの沿岸警備隊からも中国船の言うことには従えと言われている」
 これは、2016年11月にドゥテルテ大統領が「スカボロー礁の環礁内は禁漁区にすることで中国と合意した」と発表したことに符号する対応だ。
 ただ、別の船員は「ひとり乗りの小舟が環礁の中に入るのはいいんだよ」と言った。
 2017年4月にスカボロー礁を訪れたマニラ新聞記者(当時)・加藤昌平のルポによると、荒天で波が高くなると、フィリピン漁船も中国漁船も波の穏やかな環礁内に入り、そこで漁を続けたという。その様子を加藤ルポは次のように書く。
「ひとつだけある入り口から礁の内側に入れば、荒天をやり過ごせる。『中に入ろう』。ガブナン船長の判断で、船は再び移動することになった。周りの中国船もいかりを上げ始めている」
 荒天の場合の環礁内入りは認めるなど柔軟に運用されているようだ。

1度に1トンの漁獲も

午前9時すぎ
 船から小さなボートに乗リ換えて、環礁内を進んだ。さらに、ボートを下りて環礁の上を歩いた。深さはひざの少し下だった。
 船長のリソルによると、潮がもっと引くと白砂の浅瀬が見えるときもある。逆に大潮で満潮だと海面から出ている岩はすべて消えるという。
 漁民たちがこの海域を好むのは、サンゴ礁が作り出す生態系の豊かさゆえに、魚が多様で、かつ豊富に捕れるためだ。
 ただ、ルソン島から約250キロと遠く、ガソリン代のコストがかかるため、漁師たちはこの海域に長く留まり、捕れた魚を氷詰めにしながら、冷蔵の限界まで漁を続ける。最低でも5日、長いと1週間以上、ここで過ごす。捕れる魚はフィリピンでタニギと呼ばれるサワラのほか、ブダイ、ハギ、ベラ、ロウニンアジ、エイなどだ。
 漁民たちは「1週間いて1トン持ち帰ったこともある」という。ブダイなどはインファンタで1キロ100ペソ(約220円)で売れる。サワラは1キロ180(約380円)ペソだ。1トン魚を持ち帰れば、最低でも10万ペソ、日本円で22万円ほどになる。
 この額は、漁民の年収に近いが、ほとんどのルソン島の漁民は、無線まで装備した漁船の持ち主ではない。今回の船長リソルも雇われ船長で、船のオーナーはマニラにいる。彼は漁のたびに船代、ガソリン代、氷や食料、同乗する仲間への報酬を払わなければならない。
 それでも手元には漁獲高の「1割は残る」という。1トン持ち帰れば、実収入がその1割でも、フィリピン人の平均月収を上回る。それを1週間から10日の漁で手にすることができるのだ。ただ、不漁だと差し引きでマイナスになることもある。変動する魚の相場にも収入は影響される。漁業という仕事はギャンブル的な要素が強いのだ。

環礁の中へ

一方、中国船がいちばんに狙うのは、中国では縁起物の装飾品として珍重されるシャコガイ、珍味として高価なウミガメなどだ。
 フィリピン人にはウミガメを食べる習慣がなく、漁民も捕らない。崇めるほどではないが、どこか慈しむべき生き物と思っている様子がある。
 漁民のひとりは言った。
「中国人がとりつくしたのか、ここのウミガメが急に減った。最近はほとんどみかけない」
 ただ、今回は中国漁船の姿はみかけなかった。フィリピン漁船もリソルの船以外は、途中ですれ違った船も含めて数隻だった。
 スカボロー礁での漁の最盛期は毎年4~6月だ。波がいちばん穏やかで南シナ海は「湖のようになる」という。
 7月以降になると、台風の接近を常に警戒しなければならなくなる。12月半ば以降、台風は来なくなるが、3月までは波が比較的荒い。

午前10時すぎ
 シュノーケルをつけて環礁内に潜った。
環礁の上では魚の姿を数多くみたが、深さ10メートルほどの環礁の最深部は、底が白砂で、魚の数はそう多くはなかった。
 ただ、水深5メートルほどの海底にシャコガイはあった。ジャックナイフと呼ばれる頭からの垂直潜水で手に取った。しかし、30センチほどのそのシャコガイは想像以上に重くあわてた。バランスを崩して浮上に手間取り、結局は手放した。そのままシャコガイはすうっと海底に沈んでいった。

午後1時15分
 通常、漁師たちはこの海域に1週間近く留まるわけだが、今回私は取材のため、彼らの漁船をチャーターしていた。天候がこれから荒れるという情報もあり、スカボローを出発し、インファンタに戻ることになった。

スカボロー礁の持つ意味

午後2時35分
 360度の海。180度の青空。
 その中で南シナ海の領有権問題を考える。
 中国が事実上の実効支配を進めていたスカボロー礁の領有権問題が「ドゥテルテ外交」によって棚上げされたことは、やはり大きな成果だった。
 この環礁を中国が埋め立てて軍事基地を造るなどしていれば、南シナ海問題全体の構図が大きく変わったと思うからだ。
 アメリカや日本は、ここよりももっと南西方向にある南沙諸島海域で、中国が実効支配を強化してきたことを非難してきた。
 確かに実効支配する礁を埋め立て、軍事基地化することは、南シナ海全体の平和と安定を脅かす。
 また、中国が埋め立てたファリアリークロス礁(永暑礁)、スービ礁(渚碧礁)などの南沙諸島の岩礁周辺には、世界遺産級のサンゴがあったはずだ。南シナ海とスルー海の境目にあるトゥバタハ環礁は実際に世界遺産に指定されている。そういう海を埋め立てることは環境への暴挙である。
 ただ、中国が埋め立てた場所は、20世紀のうちにすでに中国が実効支配をしていた場所に限っていた。他国・地域が実効支配していた場所を奪って埋め立てたり、どこもまだ支配を確定させていない場所を見つけて埋め立てたわけではなかった。実効支配の明らかな強化ではあったが、島・岩礁単位で支配地の拡大はしていない。
 2002年に中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)は「南シナ海行動宣言」で、①領有権問題を平和解決する②実効支配を拡大しないーことで合意している。
 ファイアリークロス礁などの埋め立てと軍事基地化が行動宣言の趣旨にそぐわないとしても、宣言に明確に反する行動だったかは微妙でもあった。軍事基地化という点では、フィリピンは南沙諸島のパグアサ島に1990年代から軍を常駐させているし、ベトナムも支配する島や礁で滑走路建設などを進めている。
 しかし、もし中国がこのスカボロー礁を埋め立てていれば、南シナ海行動宣言に反することは、どうあっても言い逃れはきかなかった。南シナ海の領有権問題平和解決の枠組みである行動宣言から、中国が完全に離れてしまうことを意味していた。
 しかし、ドゥテルテ政権が前政権の親米政策から転換したことで、スカボロー礁をめぐる危機はほぼ去った。中国とASEANは行動宣言に法的拘束力をもたせる行動規範づくりの協議を進めている。
 スカボロー礁の「領有権棚上げ」が持つ意味は、フィリピンだけでなくアジア全体の安全保障上、きわめて大きかった。

夕陽と満月と

午後5時05分
 昼寝から目覚める。西に雲が見えた。
 そういえば、往路も復路も海鳥をいっさい見ていないことに気づいた。この近海で「スカボロー礁以外の場所に魚はいないのか」と聞くと、船員たちは「マグロ以外はいない」という。
 夕陽が昨日より輝いてみえる。薄い雲が空にアクセントをつけているせいか。それとも復路ゆえの安堵のせいか。

午後5時20分
 船員たちが「ダーマ」というゲームをやっている。下を向いて考えるゲームなど、船ではいちばん酔う行為だが、さすが彼らは海の男、船酔いとは無縁のようで、下を向いて盤面に熱中している。
 ダーマには黒と白の石が交点に9ずつ両陣営にある。相手の石を飛び越すか、交点をひとつ動かして進む。そして飛び越された石はとられる。複数の石の飛び越しもできる。けっこうルールが複雑だ。初めて見るゲームだった。教えてもらって1回やったが、勝負どころもなく負けた。
 ふと、伝来ルートに中国中央部経由と南方経由の2説ある日本の将棋のことを思った。やはり、将棋も南方伝来で、このように船の上での遊びだったのではないか。
 船の旅は時化にならない限り、平らな場所と暇な時間がたっぷりある。とくに南シナ海のような穏やかな海には、ボードゲーム(盤上遊戯)が合っている。

午後5時30分
 くしゃみが出た。潜ったせいで風をひいたか。気づくと半袖だった。熱帯でも日が暮れると12月の海の上はひんやりとする。
 長袖を着て、下も単パンからジーンズにはきかえる。

午後8時10分
海のうねりが大きい。いままでで最も揺れている。そういえば船長のリソルが「天候が荒れ始めている」と言っていた。

14日午前4時05分
目覚めて目を凝らすと、ヘルマナス島が薄闇の中に浮かんで見えた。その先にインファンタの灯りが見えた。

午前5時40分
 インファンタ到着。無事に地面を踏み、ほっとする。青みを帯びた空には、まだ満月が輝いていた。(敬称略)

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